遠くへ

遠くへ

おかだ すみれこ

ずるい
ひきょうだ
身勝手だ

タクシーが雨の街を夜の光をまとってくぐりぬける

わたしは窓ガラスにじぶんをせめる
あのひとをホテルに置き去りにしてきた
今夜も

「ごめんね」と100回言ってもとどかない
いや届いているきっとあの真っ白い
ワイシャツの胸あたりまでは

「うん」とうなずいていて苦しそうだった
「わかってる」といってくれた

わかっていないのはわたしだった

どれもこれもいいわけ
あれもこれもほんとう

30年の空白が
硬質の驟雨のように
やさしくはげしくふりつづいている

あのひとのこころから
水しぶきをあげて遠ざかるわたし

裏切らないということは
戻れないということだから

遠くへいくひとりでいこう
会うたびにはげしく雨がふるのはそのためだ



紙の言葉たち


みんな持っていけばいい
みんな持っていってどこかに棄ててくればいいのだ
さいしょからなにも持っていなかったのか
ちがう
手の中にあるものを隠すことに疲れただけだ

うまれたときから資質として備わっていた何か
見えるけれど見えないそれ

枯れ葉が雪のように降りしきり
バスは曲がるはずのない道を曲がる

空腹と眠気がどこかへいってしまって
あと何時間でも目を見開いて窓の向こうの見知らぬ夜を
吸い込んでいられそうだ

寒さと寂しさの区別もつかないこどもに戻って
たいせつなカバンを抱えなおす
みんな持ってきたはずの
信じやすい紙切れが唯一の手がかり

バスが道をそれるたびにオトナになって
朽ちる木の葉のみどりが乾いてあかく染まった
だからもう一度だけひっそりと
あなたのなまえを呟いてみる

いとしいかなしいねむれない
どこまでいけばいいのだろう
しおれた花のように棄ててしまえばいいのに