第四十八回目 カイザーの「娘たちを喜ばす」
娘たちを喜ばす
-----ロバート・クリーリーのために
キャロリン・カイザー
この北海岸でも人の数には困らないけど、
ただ顔を合わすだけで、大切だと思える人たちではない。
だから、兄弟よ、わたしは娘たちを車に放り込んで、
わが詩人の兄弟たちと連れ立って、あなたを訪ねに出かける。
さあ、お客が来ましたよ。あなたの知らない男どもと子供がわんさか。
でも、その男どもは詩を書くし、子供たちもあなたの子供たちと同じで、女の子よ。
マットレスや寝袋で寝たり、床の上で毛布にくるまるわ。
外では、こぶだらけの果物の古木が霧と雨につつまれ、
どの部屋でも毛布がごろごろ、さなぎのように眠っている。
娘たちを起こして、数を数える。他にやることはない。
あなたは、スイートロールとメロンを食べさせ、全員を車で動物園に連れて行く。
いつも変わらぬ父親のあなたは、辛抱強く、辛抱強く娘たちの質問に答える。
その後で食事をし、酒を飲み、詩に耳を傾ける。
他にやることはない。今は娘三人のあなたに、去年は
四人の娘がいたのは知っているけれど。でも死さえも打ち解ける理由になる。
詩と子供たちと悲しみ、これらのものから
ふたりが学んだやさしさが、ふたりを結びつけ、
生活の柱になり、ふたりは花火や菓子や歌で
娘たちを喜ばす。
兄弟よ、あなたはたちのよい大酒呑みで、
息の長い詩も短い詩も巧みに朗読できる。
そのうち娘たちもみんないなくなる。私もあなたも
酒を控え、尊敬される人になり、ひとつの場所に住むことに満足し、
山や川の向こうにメッセージを送るだろう。
編 D.W.ライト/訳 沢崎順之介・森邦夫・江田孝臣
『アメリカ現代詩101人集』〔思潮社)より
○3人の娘と田舎町で暮らしているあなたの家に、わたしは娘たちを連れて詩を書く仲間たちと一緒に遊びに行った。あなたはなにくれとなく世話をやいてくれ、子共たちと辛抱強くつきあってくれたうえに、夜には初対面の詩人たちともうちとけて飲んだり食べたり詩を朗読したりしてくれて、私たちはとても楽しい時をすごした。そういう思い出が淡々と語られている前半が終わると、後半部ではもうすこし距離をつめた「あなた」と「わたし」の関係が語られていて、それがしだいに高い調子の恋人宣言のような感じになっていくところが味わいのある作品だと思う。あなたが「たちのいい大酒呑み」だったという言葉に、作者の優しさや心遣いのようなものがうかがえるが、それでもいつかは「(私もあなたも)酒を控え」ることが、さりげなく提案されているところもほほえましい(たぶん相当呑んだのだろう)(^^;。
この詩の作者キャロリン・カイザーの解説の項には、「一九二五年、ワシントン州に生まれる。シオドア・レロキに師事する。自然や動物のほか、母親や子供、そして愛と喪失についての詩を多く書いている。技巧的にも優れた詩人。」とある。また、詩が捧げられている詩人ロバート・クリーリーの項には「一九二六年、マサチューセッツ州に生まれる。一九五〇年、オルソンと出会い、大きな影響を受ける。ブラック・マウンテン派の詩人。『愛のために』(一九六二)で注目される。愛、結婚生活、友情を主題とし、生き生きとした口語のリズムに基づく短い自由詩形を特徴とする。」とある。以下に『アメリカ現代詩101人集』に収録されているクリーリーの三編の作品の中から、『適応の一例』という詩を紹介しておこう。この詩が、カイザーさんのことをうたった詩であるとはどこにも書かれていない以上、そうでない可能性も大なのだが、詩にでてくる「敵」が、彼女と一緒に彼の家におしかけた詩人たち(「あなたの知らない男ども」)のことだと空想すると、状況は符合する(^^;。
適応の一例
ロバート・クリーリー
ついに、おれの敵が姿をみせた。
その中に美しい女がいた。
おれは思った------いかん、こりゃ万事休すだ。
抵抗できるわけがない。
やつらの敵意ももっともだと思い、
自分が狙われたことに得意になって、
おれはやつらの前に寝ころんで、想いを込めて見上げた。
多分うまくいくんじゃないかと思ったのだ。
すると、彼女がおれの顔をのぞきこんだ。
やはり彼女も女だった。
一番強力なのを最初に送ってよこすとは、敵もなかなかやるわい。
おれは彼女にキスをした。
やつらは彼女を、そしておれたち二人をじっと見ていた。
こんな手に引っかかる連中ではなかった。
だが、たとえ求めていたものとはいえ、愛のほうはどう説明したものか?
おれはそれに賭けた。
編 D.W.ライト/訳 沢崎順之介・森邦夫・江田孝臣
『アメリカ現代詩101人集』〔思潮社)より
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