森で出会って
読手 滝沢文枝
文化の日 全生園の森はこの上なく人々の笑顔が溢れ、賑わっていた。
方向音痴の私は、ただ、教えてもらった道を歩いていた。
ふと、反対側を歩いている人を意識すると、なにやら反応あり。
どこかでお会いした懐かしいお顔。色白で深い瞳。ジーンズの帽子がよく似合う、すこしエキゾチック女性。本当に森から抜け出した妖精のよう。
こんな雑巾のようなおばあちゃんをよくぞ覚えていて下さいました。
その人は、詩人 高田昭子さん。
本当に、束の間の出会いだったのに、携帯電話番号と、詩集「空白期」の贈り物を頂戴してしまった。その節は、ありがとうございました。
全生園祭りまことに文化の日 文枝
さてさて、真面目に詩集「空白期」の感想を書きましょう。
とは云っても、一読、二読、三読、しても、よく誰かさんが呟いている、「うーん」としか言葉が出てこない。
俳句はその人だけの発見が、句に詠まれ、季語が生き生きと輝きをみせるとき、お手柄という。しかし、高田さんの詩は何?
最初から、金槌で脳天を衝かれてノックアウトされてしまった。
農園の友人にちらっとだけ見せたら、彼女は瞬間に、萩原朔太郎の詩を読んでいるようだ。この詩は、椅子にかけて、朗読をすると、詩人の心が伝わって来ると、いとも簡単に宣ったのだ。
彼女は農家の主婦としては、だんトツに浮いた存在の才女で、芸術家。
私が感想書こうかしらとまで、云われると癪だから、一旦引き取ってきた。
さて、感想のスタイルをどうしようか。達人は一冊通読して、詩人の個性を述べながら、ピックアップして纏めるのだが、残念ながら、読み手はそれが不得手なのである。
返歌スタイルにして、こちらも詩で応える?そんなこと出来るわけないでしょう。
短歌なら何とか、俳句は短すぎる。少しは詩の心も伝えられるかもね。
春――叙情
・ 待つことに狎れて幾年ひたすらに春の足音に耳そばだてり
桜咲く
・ トラウマを育てしままに夜は明けり山は笑へり櫻は咲けり
春の翌日には
・ 神よりの分け前いたく有りがたし五臓六腑のセレナーゼ聴く
蜃気楼
・ 天の下の全てに時の定めあり鳥は囀り花は萌へけり
ららばい
・ するすると伸び来し腕に身を委ねただひたすらに眠る幸せ
みみーこころーからだ
・ 沈黙の木になる平和の実の欲しき脇腹あたりでルルルルルルル
水無月
・ 水無月の出逢ひ別れの風の中ひらひら追ひし不在証明書
龍釣り
・ 天上の君の投げ輪に掛りたしとんぼは今日も悲しからずや
駱駝に乗って
・ ひとすじの砂漠の道を黙々と駱駝に乗って駱駝の時間
七月になったら
・ 七月になったら絹で身を纏ひ大海原で詩を歌はん
誕生日
・ なにかしら昨日と違ふ朝かな海に注がる涙きらきら
みず色のまり
・ おさな児とまりは付かず離れずに野辺を彷徨ひ永久の眠りに
もみじの寺
・ 石段にもみじ散り敷く傍に水子地蔵と風車鳴く
燃える森
・ 木洩れ日の真中に赤い椅子一つだーれもいない森があるだけ
絶え間なく
・ 人々の生き甲斐として生かされて少女は海に押し流がさるる
秋祭り
・ 収穫の喜びに酔ふ村中の男女はぴーひゃらひゃららら
つむぐ
・ 生も死も始めは白き旅始め一人は一日一人は百年
鳥
・ 我がうちに飼ひならしたる鳥一羽放てば鳥に羽があるなり
竹の花
・ すやすやと人は眠りし夜の竹林もつれる度に花は昇華す
残像
・ 綿虫の舞に一部の狂ひなしはいと応へて奇跡を待ちぬ
とにかくこんなに難しい詩ははじめてです。そしてこんなに熱心に読んだ詩も初めてです。
高田さんの感性は並外れていると、素人ですが思います。
高田さんは明らかに理科系、それも、医師薬系、神経精神科系ですね。
サイコセラピストの世界。でも、私はその世界が好きなのです。
ハンセン病関係に関わるようになって、様々な方との出会いがありましたが、みな頭脳明晰で閉口しています。
では、拙い感想ですが、ご笑納くださいませ。おやすみなさい。
おばあちゃんより。
(2006/11/20・滝沢文枝さんからいただいたメールを転載させていただきました。)