詩集「空白期」へ  尾内達也


拝読しました。正面から読んだ感想を言うと、世界の苦や哀しみをテーマにした詩
集という気がしましたね。表のテーマは「命の哀しさ」とでも言えるような。神と
いう言葉も出てきますが、命/死は神であり、神は命/死でもあり、同時に超越的な
救済者でもあるような神。そんな感じがしましたね。一言で言うと、短歌的な叙情
になるのかな。

さて、裏のテーマは、ぼくは「ふいに」という言葉と「ふと」という言葉に着目し
ました。前者は、自己以外の存在について述べる言葉で「不意に」ですね。後者は
自分について述べる言葉で「不図」ですね。両方とも想定外の出来事を暗示してい
ます。不意に何かが起きる。不図気がつく。こういう使い方をしますね。これは、
ある意味で、世界に対する「驚き」の表現だと思うんですね。この詩集に通低して
いるものは「世界への驚き」だと思うんですね。

ぼくは、よく俳句で詩を批判し、詩で俳句を批判してみるんですが、その方向で言
うと、世界の哀しみや苦はあたりまえの話ですね。そのまま提示したんじゃ驚きは
ない。表のテーマは、そうなる危険性があると思いました。たとえば、「春−叙
情」や「桜咲く」は、哀・苦の中にも驚きがあることを示していて、成功している
と思いますが、失敗すると、世界とべったりした関係の詩、あるいは言葉が先行し
た抽象的な詩になってしまう。たとえば、「駱駝に乗って」や「水無月」、「蜃気
楼」、「ららばい」。

詩集の中で、もっとも清々した気分になったのは、「竹の花」という作品でした。
この作品は、かなり作者の「想い」が排除されていますね。その点で、逆にぼくな
どは、「想い」を共有できるんですね。俳句に近いと言えるかもしれません。

技術的なことになりますが、ここで切ればもっといいのに。そう思う作品が結構あ
りました。蛇足になると想いがあふれてしまったり、余韻がなくなる場合が多いと
思います。

最後にぼくの好みを言わせてもらえれば、詩は海のようであって欲しいんですね。
ときどき海を見たくなりますね、人は。気分が開かれていく。どこか懐かしい。
深々としていていろんなことを考えさせる。さまざまな表情を持つ。世界の始まり
であり終わりであり、すべてを溶かし込んでなお静か。そんな詩が。ま、ぼくの詩
観ですが。