どんぐりの視線   田代田


 ほんとを言うと、詩はあまり真面目すぎてもいけない。砕けて落ちることです。そこから詩は生まれる。僕はそんなに長くはやってきてません。せいぜい20年くらい。10代の多感な時期は外して。真面目すぎることはいけない。これは僕なりの結論。

 生きることは哀しい事ばかりです。世界も哀しい事ばかりです。今朝の新聞もネットのニュースも哀しいことが多すぎる。何でそうも簡単に死ねるの。哀しいことは生きるヒトみんなたぶん知っている。もしかすると知悉しているという観念かもしれません。

 コナラもクヌギもアベマキも落ちると一律に どんぐり と呼び名が変わります。どんぐりです。ここから再生が始まる。たかがどんぐり、されどどんぐり。食えやしないし拾って持ち帰ってもたいして役にも立たない。だけど内燃する機能は持ってます。

 哀しみを発信するというのではなく、どんぐり状態になって親木の隙間から空を見る気持ちになることがいいのでは。場合によっては踏まれる。どんぐりは動けないから。このごろそんな気持ちで ときどき 詩は書いてます。

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 詩集の返事って当たり障りのないこと書いて よし です。詩集の上梓ってひとつに一人の事業と考えているものですから、あれこれ言ってはいけないです。礼を正すべし とずっと思ってます。天野忠さんは凄かった。ハガキからはみ出る字で 御礼とお名前だけ。これでいいのですよ。たぶんお読みはなってくださらなかっただろうど。それでもいいのですよ。  


(2006年10月末・某ブログより。)