高田昭子さんの千里眼的挨拶詩
高田昭子さんの「しんしゅけしゃん」という詩を、高田さんのホームページの「詩日記2002−2005」の中で拝見したのは、2004年の10月半ばのことだ。
一読して、言葉をうしなう(^^;というか、よくぞまあ書いてくれましたと思った。この詩の中では「しんしゅけしゃん」と呼ばれている人の家に、「あきこさん」が訪問する。「あきこさん」は、「しんしゅけしゃん」が留守で、玄関のドアに鍵がかかっていなかったので、家の中にあがりこんで、洗面所やキッチン、軒下などを観察する。そのうえ、オウムに自分の名前を覚えさせて、お腹がすいたといって、勝手にピザを食べ、ビールを飲んで帰っていくのだ。「あきこさん」が帰りの電車の中で、すれ違う電車の車窓に「しんしゅけしゃん」をみかけ、この日の出来事が実は夢なのだった、という暗示とともに作品は終わっている。
この詩は高田さんが楽しんで「しんしゅけさん」=「真輔(わたし)」あてに書いてくださった、一種の「挨拶詩」なのだと思う。ただ、このユーモラスな「挨拶詩」に描かれている家の中の様子は、まったく高田さんの空想上のものであるはずなのに、詩の前半部分の描写に、いくつかの点で現実に符合するところがあるのだった。その符合は、自分としては、あれれ、と思うほど面白かったので、現場をデジカメで撮影して、さっそく、高田さんにお知らせした。以下に証拠写真として掲載してみたい(^^;。まずは「しんしゅけしゃん」の二連目。
洗面所にはひげそりがころがっていた。
洗面台には少しだけ髪の毛が落ちていて
やせた石鹸が石鹸箱の底で少し溶けかかって
水色のタオルはアナタの匂いがした。
これは、作品を読んでほどなく撮影した、洗面所の画像だ。私は好みで電動式の髭剃りでなく、昔ながらの「ひげそり」を使っている(これは「ころがって」いることもあるが、大抵ガラスコップに立てかけてある)。私の「洗面台」にも当然「髪の毛」は落ちていたが、それは撮影まえに掃除した(^^;。洗面台の隅にある「石鹸箱」は金属製のもので、たしかにその中には、「やせた石鹸」が「すこし溶けかかって」いる。そして驚くべきは「水色のタオル」で、これは、映りがいいように少し寄せてみたが(^^;、いつもこのタオルかけにかけてある常用のバスタオルなのだった!ついで3連目。
台所の野菜かごには
にんにく たまねぎ じゃがいも とうがらし
冷蔵庫のなかには
缶ビール ミルク ベジタブル・ジュース
スモークサーモン チーズ
ゴーヤ もやし にんじん
アイスクリーム 冷凍ピザ
台所の窓にはトマトみたいな色がひろがっていた。
画像の左下にみえるのが、濃い青灰色の藤製の「野菜かご」で、その中には、大抵「たまねぎ」と「じゃがいも」が入れてある。「にんにく」や、「とうがらし」は、流し台の横の天井から吊ってある網籠に放り込んでいるので、その中にはない。冷蔵庫の中には、だいたい詩と似たようなものが入っているが、私の場合、「ミルク」、「缶ビール」、「スモークサーモン」、「ゴーヤ」は、めったに入っていない。
それにしても、この連の最後の行の「台所の窓」には驚いた。家の台所の窓は西に開けているので、西日が大いにさしこむのだった。もちろん気候条件によっては「トマトみたいな色」の夕焼けがみえることもある。
私はけっこう自宅の室内風景の画像などもネットにのせているので、高田さんは、この詩を書く時に、ある程度のイメージを前もっておもちだったかもしれない。それにしても、「水色のバスタオル」や、「野菜かご」、夕焼けのみえる「台所の窓」など、みてきたように書かれているのはすこぶる面白かった。
詩の後半にでてくるオウムは、私がよくネットでその動静を書く九官鳥からの連想だろう。私は実際には九官鳥のQQとセキセイインコのてんまるをを飼っていて(他にカメ二匹)、九官鳥は知られているように、モノマネ鳥である。ただしQQは、「しんしゅけしゃん」とか「ふゆみさん」などとは残念ながらしゃべらない(^^;。「オハヨウ」とか「ボンジョルノ」とか、「キューキュー」とか「ハーイ」などという。年取ってきたようで、新しい言葉を覚えさせるのはなかなか至難のわざではある。
そういう符丁に面白がっているうちに、高田さんは次作として、やはり「詩日記2002−2005」の中<に「秋の午後」を掲載された。
この作品には、「しんしゅけしゃん」は登場しないが、「ルル」というオウムを飼っている、「ずり落ちそうな老眼鏡を人差指であげて/肘掛椅子で本ばかり読んでいるひと。」(3連後半)が登場する。別に作品のどこにも断られているわけではないが、この人物を、想像上の「しんしゅけしゃん」と考えてみると、やはり、いくつかのことが現実と符合するのであった。
うえの画像は、二階で使っている「肘掛椅子」で、したの画像は、以前95年の末から翌年の正月にかけて、短い間飼っていたオカメインコのものだ。
この民芸風肘掛け椅子のことは、ネットで書いたおぼえはないし、ひなの状態で飼い始めてから短い期間で死んでしまったこの鳥のことも書いたことはなかった。このオカメインコには「ルル」という名前をつけていた!
「12月4日(月曜日)、、、生後一ヶ月ほどということで、色はクリーム色がかったホワイト。成長すると頭や胸の部分が黄色くなるようだ。名前をルルにきめる。まだ泡玉を湯でふやかして与える。値段は泡玉や葉緑素の餌などつけて1万円。」(95年の日記より)
テレビで、千里眼と称する人が芸能人などの住む家の様子を、事細かに言い当てる、というような番組があって、驚くことがある。それにしても、二編の詩における、高田さんの千里眼的イマジネーションもなかなかのものだ。こういうひとは、ちょっとこわいので気をつけようと思った(^^;。
しかししかし、後日、どうして詩の中のインコに、「ルル」という名前をつけたのですか、と高田さんにメールでお聞きしたら、「Qの次はRでしょ」という、なんとも単純明快なご返事であった。あ、千里眼じゃなかったのか(^^)。