ARCH 詩集紹介






足立和夫詩集『暗中』



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 足立和夫詩集『暗中』(草原詩社刊・2006年8月20日発行・定価1500+税)


「暗中」に生きて  粕谷栄市

 人間は、なぜ、生きているのだろう。そして、なぜ、
ときに、なにごとかを、独り呟くことがあるのだろう。
 今日、われわれの街は、「暗中」のなかにある。
 錯綜する、そのそこかしこに、人間Aとその「たま
しい」が、唐突に、出没して、露わにしてみせるもの。
 それは、敢えて、彼が「狂気の機械」と、別名で呼
ぶ、この「世界」の、われわれのさまざまな生存の事
実である。そこで、われわれは、すべて人間Aである。
 この「暗中」の二十一篇の詩篇を、少々おおげさ
に、その「狂気の機械」の作用への、人間の沈黙と悲
鳴の告発だと言ってよいだろうか。------「死は謎の
ように、いつもそばにある。」
 人間A、その名を、足立和夫と呼ぶ詩人は、日常の
どこにいても、さりげなく、冷徹に、優しく、誠実で
ある。





足立和夫詩集『空気のなかの永遠は』



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 足立和夫詩集『空気のなかの永遠は』(編集工房向こう河原刊・2000年10月25日発行・定価1500+税)


●詩集『空気のなかの永遠は』はこちら(詩人産直販売)から購入できます。






☆足立さん発行の個人誌と参加同人誌の紹介(あざみ書房HP内の掲載情報です)

「ぺらぺら」(個人誌)

「Lyric Jungle」(同人誌)




日常


鈍痛が
霧のような脳のおくで 口をあけ
ぼくを見つめる
会社の扉に向き合っているのだ

ぼくは本当には
永遠と関係したことがないのに
真昼の会社で 忙しく働く夢のなかにいる

ランチタイムのレストランのなかでは
ぼくは死んだ眼を剥きだしにして
小さな悲鳴が
つぶされる音をききとり
青白く光る 夢の死体をみる

この空の下で

玄関でいつも靴を履くことが
一生である


       詩集『空気のなかの永遠は』所収




 詩集『空気のなかの永遠は』によせて

 この詩集の中の様々な作品に登場する「永遠」という言葉のイメージは、ドストエフスキーの『悪霊』の中にでてくるキリーロフの語る「永遠」に似ている。そんな不確かな連想ともつかないことを、この詩集を読み返してふと思った。終わりのない日常、その日常の一こまを、「再現」という側面からとらえたとき、日常の一こまは、その前後の事象との関連から切り離されて、別の断面をかいまみせる。「終わりのない日常」、という言葉じたい、すでに「再現」という視線の枠組みから見られた「日常」の別の断面を語ろうとしているのではないか。けれど、会社と家を往復する都会の勤め人の日々の繰り返しの毎日から逃れようもなくやってくる果てのない「永遠」の感覚ばかりが、この詩集で語られているのではない。日常性の裏側にまといつく繰り返しの感覚のほろ苦さについて語ることは、作者にとって、あるいみでまだ第一幕なのだ。「誤解しないで欲しいのだがとても楽しいのである」(「スーパーの夜」)。作者をとらえてはなさないのは、たぶん「永遠」というイメージを招き寄せてしまう器そのものであるような「存在」(私がこの世界にあること)という観念についての、つきせぬ関心と、その関心にとらえらてしまうことについてのある種の語りつくせない体験的な確信であるように思う。(桐田・記)