現代詩手帖6月号
今日、定期購読している掲題誌を書店で買ってきた。あまり商業詩誌のことは書かないのだけど、今回は少しく驚いたので、書く。さらにまだ全部を読んでない。(毎月、全部を読み切れないでいるのだけど。あぁ、時間が欲しい。それと精神的余裕""。) 犬塚堯さんの代表誌選が今度出るというので、小詩集が組まれている。その詩行の質の良さと、新聞記者でいらしたらしく、うまく社会を組み込んだ思想性が新鮮であった。さらに驚くのは、それらの詩が私の生まれる以前に書かれているものも多い、という事実である。確かに筆記法、連の分け方など古風な点があり、私などの言語感覚と少し違いを感じるが、それも無理はないであろう。 当を得た新川和江さんの解説が付いているが、一読後に改めて解説に照らして再読すると、詩の鮮明さが増してくる。おすすめ。 次に辻井喬さんの詩作品、「駐屯地で」。 数年前に他の詩誌で、終戦時にサハリンで非業の死を遂げた乙女たちのことを、自分の人生に対比させた詩を見てから、なにか変わられたような気がしていたが、このように、私のようなものが勝手に書くのが良いものか、わからないが、快調に書かれているように、読めた。 いずれの詩にも見えるのは、最後に立ち戻るのは、都会の道である。考えて見ると、この種の信号のあるような都会の道というのは、一日中自分を捕えて、巻き込んでいる会社などとは別の「社会」への道であって、反省的・理知的な場所であるかも知れない。あるいは同時に不安な、自分と他人の過去・未来、そして純粋に主観的に考えると同じ意味になるが、未知と既知の世界にも繋がっている。いわば不定な世界への入り口である。さらにその「都会の道」は日常性という、私たちの心理に大きな支えになっている、虚位の安心感の「霧」に隠されている。 そういえば、私が少年のころに出会った、辻井さんの詩にも「道」が効果的に使われていたような記憶もある。ほかの詩人たちにもあることではあろう。「社会」と「道」ということから、詩の舞台を考えて見るのも、ひとつの視点かとも思えた。 と、以上。私の読書の許された時間と読書力の限界が来た。その他の執筆者のみなさま、お許しください。(灰皿町からは水島英己さんが、加藤健次さんの詩集「紺屋記」に書評を書いて居られます。)
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