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日録、風のなかで話しましょう


2007年5月

2007/5/30(wed)
現代詩手帖6月号

今日、定期購読している掲題誌を書店で買ってきた。あまり商業詩誌のことは書かないのだけど、今回は少しく驚いたので、書く。さらにまだ全部を読んでない。(毎月、全部を読み切れないでいるのだけど。あぁ、時間が欲しい。それと精神的余裕""。)
 
犬塚堯さんの代表誌選が今度出るというので、小詩集が組まれている。その詩行の質の良さと、新聞記者でいらしたらしく、うまく社会を組み込んだ思想性が新鮮であった。さらに驚くのは、それらの詩が私の生まれる以前に書かれているものも多い、という事実である。確かに筆記法、連の分け方など古風な点があり、私などの言語感覚と少し違いを感じるが、それも無理はないであろう。
 
当を得た新川和江さんの解説が付いているが、一読後に改めて解説に照らして再読すると、詩の鮮明さが増してくる。おすすめ。
 
次に辻井喬さんの詩作品、「駐屯地で」。
 
数年前に他の詩誌で、終戦時にサハリンで非業の死を遂げた乙女たちのことを、自分の人生に対比させた詩を見てから、なにか変わられたような気がしていたが、このように、私のようなものが勝手に書くのが良いものか、わからないが、快調に書かれているように、読めた。
 
いずれの詩にも見えるのは、最後に立ち戻るのは、都会の道である。考えて見ると、この種の信号のあるような都会の道というのは、一日中自分を捕えて、巻き込んでいる会社などとは別の「社会」への道であって、反省的・理知的な場所であるかも知れない。あるいは同時に不安な、自分と他人の過去・未来、そして純粋に主観的に考えると同じ意味になるが、未知と既知の世界にも繋がっている。いわば不定な世界への入り口である。さらにその「都会の道」は日常性という、私たちの心理に大きな支えになっている、虚位の安心感の「霧」に隠されている。
 
そういえば、私が少年のころに出会った、辻井さんの詩にも「道」が効果的に使われていたような記憶もある。ほかの詩人たちにもあることではあろう。「社会」と「道」ということから、詩の舞台を考えて見るのも、ひとつの視点かとも思えた。
 
と、以上。私の読書の許された時間と読書力の限界が来た。その他の執筆者のみなさま、お許しください。(灰皿町からは水島英己さんが、加藤健次さんの詩集「紺屋記」に書評を書いて居られます。)

2007/5/20(sun)
23歳のころ

私が21歳になってすぐ、父親が亡くなり、私は看病と家業のために休学していた大学に復学した。それからの2年間、私はつぶれそうになっていた家業を建て直し、法律学・政治学、哲学を必死に勉強していた。もう看病や、慣れない仕事に難渋したりしなくてよく、これら集中していた。
 
それであるとき業界紙の記者さんが店にやってきて、こう言われた。それではっとしたのだ。
 
「いやー。あなた、お父さんが亡くなれたときに比べると、ひとが変わられたみたいですね。落ち着いて、仕事も押しも押されもしないほど板についている感じ。えっ!23歳。へー、すばらしいですね。私が、あなたのお年なら、何でもできますよ。」
 
実はひたむきに夢中になっていたことと言えば、若者らしいことはなにもせず、一日数時間の睡眠ももったいないと思うほど、仕事も緊張感を楽しむようで、法律学の面白さも解り、政治学の大人らしい判断力に満足感も見出していた。哲学は謎が深まるばかりだが、もう一歩も引けないほどのめりこんでいた。そんな毎日にこの年上のひとの言葉は、「そんな生活だけではいけない。もっと人生に気がつきなさい。」と、父親のいない私には聞こえた。気が付いたのだ。
 
23歳、当然、仲間との会話を楽しんだり、何かの会合に出かけたりすることもなかったので、クラッシックの音楽会や美術館に出かけるようにもなった。時間と人付き合いのない私には、そんなことしかなかったのだ。女のひとのことも、まぶしく見えるようにもなった。
 
それからの数年間、徐々にひととの付き合いが増えるにしたがい、「カタブツ・ヘンクツ」と、男女老若を問わず、誰もかれにも言われた。なにしろ頭のなかにあったのは、店の帳簿と取引先との話、仕事以外は六法全書があたまの中で溢れそうになっていた。余暇はカントの「純粋理性批判」、「存在と時間」を読み終えたあとのハイデッガーは、当時まだ翻訳のなかった形而上学の講義録を、辞書を引き引き、ドイツ語で読んでいた。この2年間は、それ以外のなにも忘れていたと、言ってよい。
 
これが情けなくも、私の23歳のときのことであった。
 

 

 
ひるがえって、こんな愚にもつかないことを書くのは、この年齢から男のひとは人生が開けて来るのではないかということである。女性よりも、男性のほうは遅くなるのは、いかんせん、まだこの日本社会のなかでの現実であったが、あるいはいまもそうなのかも知れない。
 
ここまで読んでいただいた方々は、おわかりいただけると思うが、先日亡くなられた警察官の方が23歳の若さであった。一応、警察官のエリートのSATになられというが、これからも多くの人命を助け、功績を挙げられたであろう方が、殉職された。当然に何も存じ上げない方ではあるが、「23歳」と言う年齢には、私も衝撃を受けた。
 
人生は、あきらかにこれからである。優秀で、人格のある方であったと聞く。どうして亡くなられなくてはならなかったのか。合理的な説明がつかないで、2日ほど過ぎた今日も反芻を続けている。
 
深く同情するとともに、奥様・幼いお子様を残された無念さに思いを寄せたいと思う。



 

 

2007/5/1(tue)
大豆を食べる

最近は、大豆料理に凝ってます。それも酒のつまみやごはんの惣菜として副食的に少量食べるというのではなく、基本的に炭水化物は、パンを少しかおにぎりだけ。主食として大豆を食べる。ここが今回、重要なところです。
 
きっかけは血液検査でコレステロールが多いと言われたことだけど、やってみると奥の深いこと。味付け、煮る時間など微妙に違うのです。
 
いろいろと作ってみたけど、同時に煮る野菜は人参・今なら新玉ねぎ、春の大根は柔らかいので、時間を置いて、あとから(味のバランス上もあって、)「少ない」量を煮込む。豚肉も入れるけど、本当はペーコンを使いたいところ、合成保存料や発色剤などには嫌気がさす。無添加のものは、大豆にたんぱく質が多いのに、パックあたりの量が多すぎる。また脂肪分が無添加に限って多いよう。またコレステロールが増える。塩分も多い。
 
これらの野菜・豚肉を、出汁入り醤油で煮る。水の量は、大豆の量にあわせて、たっぷり目。豚肉を入れてから、におい消しに料理酒を少量。あまり煮ないで、生の味と食感を残す。大豆のねっとりと反対の味わいで、対照の妙を出すのが、好き。砂糖と醤油を少しだけ加えて、味の調整。あとで加えるゆで大豆に味が付いているので、うす味にする。
 
それから茹で大豆、最近はパックで茹でた大豆が売ってて、昔みたいに水に長時間漬けたうえ、何度か茹でこぼして、毒性のあるサポニンをアク抜きをする必要がない。大体一食あたり茹で大豆にして、100gから150gを入れる。味がつく程度に煮る。やわらかくしすぎない。
 
問題は大豆が植物淡白な分、必須アミノ酸の配分が肉などに比べると劣る点ですね。これが悪いと、たんぱく質として利用されないで、単なるカロリーになってしまう。ご飯などのおかずだと、米に含まれている少量のたんぱく質が調整してくれるけど、この場合はそれほど食べない。豚肉を入れたり、わずかでもパンやおにぎりを食べるのは、この点を少しでも改善する意味がある。気になるようなら、バランスを取るのに相性の良い卵を割りいれたり、ゆで卵にしてつけると良いと思う。
 
とにかく単品では、栄養的に良くないみたいです。
 
応用として、いろいろな味付けが可能ですが、たとえば大きなパックのトマトジュースが飲み切れなくて、残っていた場合、それにも塩分があるため、出汁をさらにうすく、水の量も少なめにして、豆を入れる時点で一緒に入れて煮る方法もあります。この場合は大根の代わりに、ジャガイモを入れて、仕上げにヨーグルトをトッピングしてもよいでしょう。ジャガイモが、おいしくなります。
 
農林水産省のページ

 
訂正:大豆の有害成分はサポニンではありませんでした。別の成分です。どちらにして生大豆を多く取るのは良くありません。



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