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日録、風のなかで話しましょう


2006年5月

2006/5/27(sat)
「オシアン」

うーむ。シェイクスピア。(ゲストブック参照。)
 
ひさしぶりに文庫を引きずり出しましたけど、読むのをすぐやめました。やっぱり名言が並んでいる。しかし「くさい」。それではっとして、芝居臭いのは、劇作家だったから。(私はこういうバカをよくやります。)
 
それから「オシアン」を読んでほっとしたところです。まだ十代のころ、これをむさぼり読んだことがありました。
 
奔流ローラの堤の薊(アザミ)をゆらがせて
せまい谷間を吹いていく、目にもとまらぬそよ風は
なぜ不意に音がしなくなったのか
白波のたつ山川の音も、木蔭の岩の縦琴も
なぜ不意に音がしなくなったのか
竪琴の名手マルヴァーナよ、そばにきて
歌心を呼び戻しておくれ
白い手の娘よ、歌心を呼び戻しておくれ
(句読点・行分け・加筆、冨澤。)
 
このスタンザ(連)は、「音をしなくなったのか」を「歌心を呼び戻しておくれ」で受けている。比喩と同じく、無関係なものをつなげていく、ポエジーの基本があります。こうしてみると、古代の素朴な詩にも、優れたものがあります。(俗にオシアン風という、言葉の派手さだけにとらわれてはいけません。)
 
3世紀、スコットランドのフィン王の一族は、度重なる戦いで滅亡して行きます。そのひとり残った王子がオシアン、息子の許婚のマルヴァーナが、その戦記を歌にし、後世に残します。その息子で、許婚がオスカル。18世紀・19世紀にこの古歌は、ヨーロッパで復活、大流行してオスカル・マルヴァーナという人名も一般化したそうです。(日本では、どういうわけか20世紀後半。)
 
岩波文庫「オシァン」中村徳三郎訳、引用・参考。

2006/5/17(wed)
「検問です。」

昨晩、遅くに買い物に行き、浜松の知らない通りに行ってみました。
 
ある道で、一時停止のあと発進すると、すぐお巡りさんが赤いトーチを持って制止にかかります。ほぼ同時にわき道に入ろうとしていたので、多分逃げたかとおもわれたのでしょう、ほか数人のおまわりさんに囲まれました。
 
「一旦停止は、したでしょう。」
「いえいえ、検問です。申し訳ありませんが、免許証を拝見。」
 
それで事情をひとしきり話してから、帰り道を探しにかかりました。どうも風紀の悪い地域だったようです。知らない街で、問題な場所に入ってしまう。よくある失敗ですね。
 
さらにスリルがあったのは、私が警官と話をしていたのを見ていた対向車、私の車の前で急にUターン。逃げるは、逃げるは。悪いことに一本道で、かなりの時間、私の車の前を緊張して走っていたようです。
 
気の毒な。警察官と組んでいる刑事の車と間違えられたみたいです。

2006/5/10(wed)
外国から来たひとたちの言葉

今日は近所に住んでいるインドのひとと英語で話。
 
ふだんよく接するブラジルのひとたちは、浜松では5万人。ひとつの社会を作っていて、教会・食料品店はもとから放送局から新聞、電話、自動車の販売会社まである。ポルトガル語で十分用が足りるようで、日本語のほか、あまり英語はしゃべられないようだ。
 
京都に居たときは、英語圏のひとが多かったけど、かえってアジアのひとには英語が通じるようだ。

 
訂正。市役所の広報を見ると、ブラジルの方は約「1万6千人」、居られるそうです。

「静岡県西部」で「5万人」の外国の方がいらっしゃるそうです。

そこつで申し訳ありません。

2006/5/11(thu)
遠州地方

最近は浜松や遠州地方のことがだいぶ解ってきたようで、よくそれが気になります。
 
京都のように、ひとが裾を摺り合わせて生活する狭さに比べて、べらぼうなまでの広い土地、おおやざっぱな人情。うまいサカナ。
 
何かもがもの珍しいわけですね。ちょっと戸惑っているような感触です。

2006/5/6(sat)
この数日は浜松まつり。

駅前の通りを広範囲に交通規制を敷き、ひとびとがハッピ姿の祭り衣装を着て、多数あつまる。鉾・山(ホコ・ヤマ)と同じく山車(ダシ)が行列をしたり、揃いの浴衣を着て人々が山鉾に群れる京都の祇園祭を彷彿とさせます。
 
各町々にラッパが一日中鳴り響いて、これを書いているこの夜中にも街角では若い人たちが騒いでいます。
 
江戸時代に栄えた城下町らしい祭ではあるのでしょう。由来など、まだ住んで一年で、これから勉強します。浜松のひとたち、的外れなことを書いても、その点はお許しください。
 
幾分違いがあるのは、行事に直接参加するひとが大半で、「それが、私の一年で唯一最高の楽しみ。」というひとが多いのです。
 
変に聞こえるかも知れないけど、京都の場合、祇園祭にしても、時代祭、大文字の送り火にしても、緩い決まりではあるけれども、概ね主催者側にまわるひとたちの「家」が決まっているのです。京都で祭りに参加するということは、それ以外のひとは見物に行くことを意味するのです。
 
つまりこんなところにも、「伝統・身分」という区別があるのです。実際祇園祭には、京都の市域以外の周辺地域、多府県から京都に戻って、祭りの手伝いをするひとがいます。誰もこの区別を変だとも思わない。自然に受け入れているのです。
 
この数日、私が感じる一抹のさびしさは何か?祭に参加していないせいか、京都の祭に触れていないせいか、どちらかでしょう。移転して1年、当然の成り行きと言えば、当然かも知れません。

 

浜松まつりガイド



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