詩が完成しない。
もう一ヶ月くらい、ひとつの詩にかかって、まとまらず。できても、良いものとは思えない。ひとつには感受したものが、言葉にならない性質のものだから。それに反して詩には言葉しかない。完全に暗礁に乗りあげている。 大体詩は前人未踏の言葉の世界そのものだから、言葉にならないものは苦手なのだ。もっとも言葉にならない世界を、人間は知らないだけかも知れない。でもときどき結節点はあるようで、三次元を超える多次元世界も考えている研究者もいるようだ。まして感受したものは、私(相当、変わっている。)が感受したものなのだ。 あるいはりんごの味は、りんごを食べてみないとわからない、ということか。「…のように」の単純な直喩は「…」で別のものを表現しているみたいに見えて、さらに未明か自明の「…」に言い換えているだけかもしれない。「AのようなB。」と言ったときには、さらに感受されたまだ言葉になっていない「C」が出てこないのだ。 ただここでも抜け道はあって、「AのようなB。」をそう感受した「物語」・「ストーリー」として表現すれば、なにかが生まれて「AのようなB。」を「聞く」・「読む」他人に何かが生じることになる。この手か?うーーむ。
|
|