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日録、風のなかで話しましょう


2007年4月

2007/4/30(mon)
詩が完成しない。

もう一ヶ月くらい、ひとつの詩にかかって、まとまらず。できても、良いものとは思えない。ひとつには感受したものが、言葉にならない性質のものだから。それに反して詩には言葉しかない。完全に暗礁に乗りあげている。
 
大体詩は前人未踏の言葉の世界そのものだから、言葉にならないものは苦手なのだ。もっとも言葉にならない世界を、人間は知らないだけかも知れない。でもときどき結節点はあるようで、三次元を超える多次元世界も考えている研究者もいるようだ。まして感受したものは、私(相当、変わっている。)が感受したものなのだ。
 
あるいはりんごの味は、りんごを食べてみないとわからない、ということか。「…のように」の単純な直喩は「…」で別のものを表現しているみたいに見えて、さらに未明か自明の「…」に言い換えているだけかもしれない。「AのようなB。」と言ったときには、さらに感受されたまだ言葉になっていない「C」が出てこないのだ。
 
ただここでも抜け道はあって、「AのようなB。」をそう感受した「物語」・「ストーリー」として表現すれば、なにかが生まれて「AのようなB。」を「聞く」・「読む」他人に何かが生じることになる。この手か?うーーむ。

2007/4/29(sun)
大豆を食べる

最近は、大豆料理に凝ってます。それも酒のつまみやごはんの惣菜として副食的に少量食べるというのではなく、基本的に炭水化物は、パンを少しかおにぎりだけ。主食として大豆を食べる。ここが今回、重要なところです。
 
きっかけは血液検査でコレステロールが多いと言われたことだけど、やってみると奥の深いこと。味付け、煮る時間など微妙に違うのです。
 
やってみたけど、同時に煮る野菜は人参・新玉ねぎ、あとから少量の大根。あと豚肉だけど、本当はペーコンを使いたいところ、合成保存料や発色剤など嫌気がさす。無添加のものは、大豆にたんぱく質が多いのに、パックあたりの量が多すぎる。また脂肪分が無添加に限って多いよう。またコレステロールが増える。塩分も多い。
 
これらの野菜を、味付け醤油で煮る。水の量は、大豆の量にあわせて、たっぷり目。豚肉を入れてから、におい消しに料理酒を少量。あまり煮ないで、生の味と食感を残す。大豆のねっとりと反対の味良いで、対照の妙を出すのが、好き。あと砂糖と醤油を少しだけ加えて、味の調整。あとで加えるゆで大豆に味が付いているので、うす味にする。
 
それから大豆だけど、最近はパックで茹でた大豆が売ってて、昔みたいに水に一晩つけ、何度か湯でこぼして、サポニンのアク抜きをしなくて良い。大体一食あたり100gから150g入れる。味がつく程度に煮る。
 
問題は大豆が植物淡白な分、必須アミノ酸の配分が肉などに比べると劣る点ですね。これが悪いと、たんぱく質として利用されないで、単なるカロリーになってしまう。ご飯などのおかずだと、米に含まれている少量のたんぱく質が調整してくれるけど、この場合はそれほど食べない。豚肉を入れたり、わずかでもパンやおにぎりを食べるのは、この点を少しでも改善する意味がある。気になるようだと相性の良い卵などを割りいれたり、ゆで卵にしてつけると良いと思う。
 
とにかく単品では、栄養的に良くないみたいです。
 
農林水産省のページ


 

応用として、いろいろな味付けが可能ですが、たとえば大きなパックのトマトジュースが飲み切れなくて、残っていた場合、それにも塩分があるため、出汁をさらにうすく量も少なめにして、豆を入れる時点で一緒に入れて煮る方法もあります。この場合は大根の代わりに、ジャガイモを入れて、仕上げにヨーグルトをトッピングしてもよいでしょう。ジャガイモが、おいしくなります。



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